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ハードウエア

大型汎用機:ビジネスの心臓部

大型汎用機、いわゆるメインフレームとは、企業の中核となる情報システムを支える、非常に強力な計算機のことです。銀行でお客様の預金を管理したり、航空会社で座席の予約を管理したり、政府機関で社会保障制度を運用したりと、膨大な量の情報を扱うとともに、高い信頼性が求められる現場で活躍しています。 メインフレームの歴史は古く、1960年代に登場して以来、常に技術の進歩を続け、現代社会の土台を支える重要な役割を担ってきました。そして、現在もなお、絶え間ない技術革新によって、現代の企業活動の様々な要望に応え続けています。 他の計算機と比べて、処理能力、信頼性、安全性の面で非常に優れている点が、メインフレームの大きな特徴です。一度に大量の取引を素早く処理することができるため、大規模な組織で必要とされる膨大な情報処理を滞りなく行うことができます。また、一度導入すると長期間にわたって安定して稼働するため、長期的な視点で考えると費用を抑えることにもつながります。 メインフレームは、高い稼働率を誇り、24時間365日、休むことなく動き続けることが求められます。これは、システムの停止が、企業活動に大きな影響を与え、場合によっては社会全体に混乱を招く可能性があるためです。だからこそ、メインフレームは、様々な障害に耐えられるように設計されており、万一の事態が発生した場合でも、速やかに復旧できる仕組みが備わっています。 このように、メインフレームは、現代社会を支える重要な役割を担っており、私たちの生活を陰で支える縁の下の力持ちとして、これからも活躍していくことでしょう。
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基幹業務を支える大型コンピューター

大型計算機は、会社や大きな組織の最も重要な仕事を支える、とても力強い計算機です。まるでたくさんの人の仕事ぶりを一人でこなすかのように、膨大な量の情報をあっという間に処理します。しかも、動きが止まることなく、ずっと安定して働き続けるので、とても頼りになります。 例えば、銀行でお金の出し入れを管理したり、飛行機の座席を予約したり、国の情報を管理したりといった、私たちの暮らしを支える重要な仕事で活躍しています。これらの仕事は、常に正確で、止まらずに動き続ける必要があるので、大型計算機が欠かせません。 大型計算機は、処理能力が高いだけでなく、情報の安全を守る仕組みもとてもしっかりしています。秘密にしておかなければならない大切な情報を扱う仕事に最適です。また、壊れにくく、長い間安定して使えるように作られています。そのため、一度導入されると、何十年も使い続けられることも珍しくありません。 大型計算機は、まるで社会の心臓部のように、私たちの生活を支える様々なシステムを陰で支えています。普段は目にすることはありませんが、私たちの社会にとって、なくてはならない大切な存在と言えるでしょう。大型計算機は、これからも進化を続け、より安全で快適な社会の実現に貢献していくことでしょう。
ソフトウェア

AIX:安定稼働で定評のあるOS

高度対話型実行環境(略称エイアイエックス)は、アイビーエム社が開発、提供する、ユニックスという技術を土台とした基本制御手順です。頑丈さ、そして安定した動作で高い評価を得ており、特に企業の中核となる事務処理システムで高い信頼性を誇ります。この基本制御手順が主に活躍するのは、アイビーエム社のパワーシステムズという名前の計算機の上です。銀行や証券会社といったお金を扱う会社、商品の流通や製造を行う会社など、システムが常に安定して動くことが求められる企業の基盤として、長年にわたり採用され続けています。高度対話型実行環境は、広く知られた標準的な仕組みに従いながらも、アイビーエム社独自技術も組み合わせることで、高性能と高信頼性の両立を実現しています。また、複数の作業環境を一つの機械で動かす技術にも対応しており、利用者の必要に応じた柔軟な仕組み作りを可能にしています。長年の実績と絶え間ない改良によって、洗練された技術と多様な機能を兼ね備え、変化し続ける企業の様々なニーズにも応えられる柔軟性を備えています。まさに、変化の激しい現代社会においても、頼れる存在と言えるでしょう。
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懐かしのPS/2ポート:今、なぜ重要なのか?

1987年、技術革新の波が世界を覆う中、国際事務機械株式会社は画期的な個人向け計算機「ピーエスツー」を発表しました。この計算機は、それまでの常識を覆す様々な新しい機能を搭載し、現代の計算機の基礎を築いた重要な存在と言えるでしょう。その中でも特に注目すべきは、文字入力装置と位置指示装置を接続するための新たな規格「ピーエスツー接続口」の登場です。円形の形状をしたこの小さな接続口は、瞬く間に業界の標準となり、長年にわたって個人向け計算機周辺装置の接続方法を定める存在となりました。 それまでの接続口は大きく、場所を取るものが主流でした。加えて、装置ごとに形状が異なり、利用者は接続に戸惑うことも少なくありませんでした。ピーエスツー接続口は小型で統一された規格であったため、接続の簡素化に大きく貢献しました。また、複数台の周辺装置を同時に接続できるようになり、利用者の利便性も向上しました。この接続口は、色分けによって識別できるようにも設計されており、緑色は位置指示装置、紫色は文字入力装置に割り当てられました。この工夫により、利用者は見た目で接続先を判断できるようになったのです。 ピーエスツー接続口は、後に登場する「汎用直列バス」などの新しい接続方式に取って代わられるまで、長期間にわたって広く利用されました。現代の計算機では、その姿を見ることは少なくなりましたが、ピーエスツー接続口は個人向け計算機の歴史を語る上で欠かせない要素の一つと言えるでしょう。その小さな接続口は、技術の進歩を象徴する存在として、今もなお私たちの記憶に刻まれています。
ハードウエア

PS/2コネクタとその歴史

PS/2つなぎ口は、少し前のパソコンでよく使われていた、キーボードやマウスをつなぐための口のことです。丸みを帯びた形で、小さな穴が6つ並んでいます。この穴にキーボードやマウスの線を差し込んで使います。色は、キーボード用が紫色、マウス用が緑色と決まっていて、一目で見分けがつくようになっていました。だから、間違えてつなぐ心配がほとんどありませんでした。 今は、ほとんどのパソコンでUSBという別のつなぎ口が使われているので、PS/2つなぎ口を見ることは少なくなりました。でも、一昔前はとてもよく使われていて、パソコンには必ず付いていました。PS/2つなぎ口があるおかげで、たくさんの人がパソコンで文字を打ったり、画面上の矢印を動かしたりすることができたのです。小さなつなぎ口ですが、パソコンを動かす上でとても大切な役割を果たしていました。 PS/2という名前は、IBMという会社が作った「パーソナルシステム/2」というパソコンから来ています。このパソコンで初めてPS/2つなぎ口が使われたため、そのまま名前として定着しました。今では、USBの普及によって姿を消しつつありますが、パソコンの歴史を語る上では欠かせない存在です。PS/2つなぎ口は、パソコンが今のように広く使われるようになるために、大きな役割を果たしたのです。小さな形の中に、たくさんのパソコン機器を支えてきた歴史が詰まっていると言えるでしょう。
ソフトウェア

DOS/Vの功績:日本のパソコン普及を支えた立役者

時は1990年、日本の電算機を取り巻く環境は大きな転換期を迎えました。これまで、日本語を電算機で扱うには、いくつもの壁がありました。まず、日本語を正しく表示するためには、専用の日本語処理装置を取り付ける必要がありました。この装置は高価な上に、電算機本体の価格も高く、一般の人にはなかなか手が届かないものでした。さらに、日本語入力の操作も複雑で、使いこなすには専門的な知識が必要でした。このため電算機は一部の企業や専門家だけが使う道具というイメージが強かったのです。 そんな中、日本アイ・ビー・エム株式会社から画期的な技術が登場しました。それがDOS/Vです。DOS/Vは、当時普及し始めていた比較的安価なパソコンであるピーシー/エーティー互換機で日本語を扱えるようにしたのです。この技術革新は、これまでの日本語電算機を取り巻く様々な問題を一気に解決する可能性を秘めていました。 DOS/Vによって日本語表示装置にかかる費用を抑えることができるようになり、電算機本体の価格と合わせて、電算機全体の価格が大きく下がることが期待されました。これまで高価で使いづらかった電算機が、より多くの人にとって身近なものになる道が開かれたのです。DOS/Vの登場は、まさに電算機の歴史における大きな一歩であり、後の情報化社会の到来を予感させる出来事でした。
セキュリティ

DES:過去の標準暗号技術

資料暗号化規格と略されるものは、かつて情報保護の分野で広く使われていた暗号化の方法です。1977年に合衆国政府の標準として認められ、世界中でデータの安全を守る重要な役割を果たしていました。特に銀行や役所など、秘密性の高い情報を扱う組織でよく使われていました。 この方法は、共通鍵暗号方式と呼ばれるものを採用しています。これは、情報を暗号化するときと、暗号化された情報を元に戻すときに、同じ鍵を使う方式です。同じ鍵を使うことで、鍵の管理は楽になります。しかし、この鍵を相手に渡す必要があるため、鍵が漏れてしまう危険性もありました。 資料暗号化規格は、64ビットの鍵を使って情報を暗号化します。ただし、実際に暗号化に使われるのは56ビットで、残りの8ビットは誤り検出に使われます。この方式は、当時としては安全だと考えられていましたが、計算機の性能が向上するにつれて、解読される危険性が高まっていきました。そのため、より安全な暗号化方式が必要となり、三重資料暗号化規格や、さらに高度な暗号化規格が開発されることになりました。 三重資料暗号化規格は、資料暗号化規格を三回繰り返すことで、安全性を高めた方式です。異なる鍵を三つ使う場合、事実上168ビットの鍵を使ったのと同様の安全性を持つと考えられていました。しかし、三重資料暗号化規格も計算機の性能向上により安全性が低下し、現在では新たな暗号化規格が主流となっています。資料暗号化規格は、暗号化技術の歴史において重要な役割を果たしましたが、現代の高度な情報社会においては、より強力な暗号化方式が必要とされています。 このように、技術の進歩とともに、暗号化技術も進化を続けています。常に最新の技術に目を向け、情報の安全を確保していくことが重要です。
ソフトウェア

FORTRAN:科学技術計算の立役者

計算を行う機械、電子計算機。その機械に複雑な計算をさせるには、機械が理解できる言葉で指示を出す必要があります。人間同士が意思疎通をするために日本語や英語といった言葉を使うように、電子計算機にも専用の言葉があるのです。その言葉の一つが「FORTRAN」です。 FORTRANは、科学技術計算を得意とする歴史ある言葉です。今からおよそ70年前の1956年、IBMという会社で開発されました。「高級言語」と呼ばれる種類の言葉としては、世界で初めて実際に使われるようになったのです。では、高級言語とはどのような言葉でしょうか?それは、人間にとって理解しやすい形で計算の手順を記述できる言葉のことです。FORTRANが登場する以前は、電子計算機への指示は、まるで暗号のような、非常に難解な記号の羅列で示されていました。一般の人々にとって、電子計算機を扱うことは大変難しい作業だったのです。FORTRANの登場により、より多くの人々が電子計算機を容易に利用できるようになりました。 FORTRANという名前は、「式変換」(formula translation)という言葉から来ています。「式」とは、数学で使われる計算式のことです。つまりFORTRANは、人間が書いた計算式を、電子計算機が理解できる形に変換するための言葉なのです。まさに計算のための言葉と言えるでしょう。FORTRANは、科学技術の進歩に大きく貢献してきた計算の言葉なのです。
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パソコンの歴史:PC/ATの功績

一千九百八十四年、アイ・ビー・エム社が世に送り出した新型の個人向け計算機、それがピーシー・エーティーです。正式には「アイ・ビー・エム パーソナル コンピューター/エーティー」と呼ばれ、エーティーとは「先進技術」を意味する言葉の略称です。この新型機は、当時広く使われていたアイ・ビー・エム社のピーシーという機種の後継機として開発されました。処理の速さ、情報の記憶容量、機能の拡張性など、あらゆる点で性能が向上していました。 特に注目すべき点は、十六ビットのインテル八〇二八六演算処理装置を搭載したことです。これは、それまでの主流であった八ビット処理装置に比べて、格段に処理速度が向上したことを意味します。まるで人が走る速さと自動車の速さほどの違いです。この画期的な処理能力の向上は、様々な作業をより速く、より効率的に行えることを可能にしました。 ピーシー・エーティーの登場は、企業での計算機利用を大きく促進しました。それまで、計算機は一部の専門家だけが使う高価な機械というイメージがありましたが、ピーシー・エーティーは、より多くの企業が手軽に導入できる存在となりました。そして、ピーシー・エーティーには、その後の計算機業界の標準となる多くの技術が採用されており、後の機種開発に大きな影響を与えました。例えば、今や当たり前の機能となっているハードディスクドライブの大容量化や、様々な機器を接続するための拡張スロットの規格など、ピーシー・エーティーが先鞭をつけた技術は数多くあります。まさに、現代の個人向け計算機の礎を築いた機種の一つと言えるでしょう。
ソフトウェア

PL/I 汎用プログラミング言語の祖

1960年代、計算機の世界は目覚ましい発展を遂げていました。しかし、計算機に指示を出すための言葉、つまりプログラム言語に関しては、まだ夜明け前のような状況でした。当時、広く使われていた計算機の言葉の一つに、科学技術計算に特化したフォートランがありました。また、事務処理計算を得意とするコボルも存在していました。フォートランは数式を扱うのが得意でしたが、事務処理には不向きでした。逆にコボルは事務処理には優れていましたが、複雑な数式を扱うことはできませんでした。例えるなら、フォートランは優れた理系の学者、コボルは優秀な事務員のようなもので、それぞれ得意分野が異なっていました。 そこで、計算機の大手企業であるアイ・ビー・エム社は、これらの言語の利点を一つにまとめ、どんな仕事にも使える万能なプログラム言語の開発に乗り出しました。これがピーエルワン誕生のきっかけです。まるで理系の学者と優秀な事務員の能力を併せ持つ、万能な人材を育成するような計画でした。異なる分野の計算機の指示を一つの言葉で記述できるという画期的な考え方は、当時の技術者たちの大きな関心を集めました。色々な種類の計算機の言葉を覚える必要がなくなり、一つの言葉で様々な指示が出せるようになることは、当時の技術者にとって夢のような話でした。 ピーエルワンは、計算機の世界に大きな変革をもたらす可能性を秘めていました。あらゆる計算を一つの言語で処理できるようになれば、計算機はさらに多くの分野で活用できるようになり、社会全体に大きな影響を与えることが期待されました。まさに、計算機の歴史における新たな一歩を踏み出すための、重要な一歩でした。
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PowerPCの栄光と衰退

1990年代初頭、机の上の計算機の世界は大きな変わり目を迎えていました。これまで主流だった「複雑命令設定計算機」と呼ばれる種類の小さな演算処理装置は、多くの複雑な命令を理解できる一方、その設計や製造の難しさや、電気をたくさん使うという問題を抱えていました。 一方で、「縮小命令設定計算機」と呼ばれる種類の小さな演算処理装置は、理解できる命令の種類を少なくすることで、処理速度を速くし、使う電気を減らす可能性を秘めていました。 このような状況の中で、計算機業界をリードする林檎社、国際事務機械社、そして自動制御装置社という三つの巨大な会社が協力して、「縮小命令設定計算機」という種類の小さな演算処理装置を共同で開発することになりました。これが「動力計算機」の誕生物語の始まりです。 三社は、それぞれの得意分野を生かして開発を進めました。林檎社は優れた使い心地、国際事務機械社は大型計算機の技術、そして自動制御装置社は組み込み機器の技術を提供することで、高性能でかつ電気をあまり使わない理想的な小さな演算処理装置を目指しました。「動力計算機」は、まさに三社の英知の結晶と言えるでしょう。 「動力計算機」は、当時の最先端技術を結集し、革新的な設計思想に基づいて開発されました。その高い処理能力と低い消費電力は、多くの計算機メーカーから注目を集め、様々な機器に搭載されるようになりました。それは、机の上の計算機から家電製品、そして大型計算機まで、幅広い分野で活躍しました。「動力計算機」の登場は、机の上の計算機業界に大きな影響を与え、その後の発展に大きく貢献したのです。
ソフトウェア

OS/2:時代を駆け抜けた革新的OS

計算機の世界で、かつて大きな影響力を持っていた会社が二社ありました。一方は国際事務機械、もう一方は小さい柔らかな機械です。この二つの会社が協力して、新しい計算機の仕組みを作ることになったのです。これが、お話の中心となる共同開発の始まりです。 時は計算機が急速に人々の間に広まり始めた頃、従来の仕組みでは限界が見えてきていました。もっとたくさんの機能と使いやすい操作を備えた、新しい仕組みが必要とされていました。そこで、二つの会社は共同で「オーエス・ツー」という名前の計算機の仕組みを作り始めたのです。 この協力は、当時の計算機業界に大きな驚きをもたらしました。人々は「オーエス・ツー」に大きな期待を寄せ、開発の行方を見守っていました。そしてついに、最初の「オーエス・ツー」が世に出たのは、今から36年前の1987年のことでした。人々は、この新しい仕組みが計算機の世界に大きな変化をもたらすと感じていました。まさに、新しい時代の始まりを告げる出来事だったのです。 国際事務機械と小さい柔らかな機械、この二つの巨大な会社が協力するという異例の出来事は、人々の心に強く印象付けられました。そして、「オーエス・ツー」は、将来の計算機の姿を示す、希望に満ちた存在として、人々の注目を集めたのでした。