インテル

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ハードウエア

ペンティアム:革新的な処理能力

計算機の世界で1993年は特別な年でした。まさに時代を変える画期的な製品、インテル社のペンティアムが産声を上げた年です。それまでの主力製品であったアイ・フォー・エイティ・シックスに代わるものとして開発されたペンティアムは、それまでの常識を覆すほどの処理能力の向上を実現し、人々の計算機との関わり方に大きな変化をもたらしました。 それまでの小さな電子頭脳は、主に文字や数字を扱うことに主眼が置かれていました。表計算や文書作成といった事務作業が主な用途で、動画や音声、絵といった多くの情報を同時に扱うことは苦手でした。しかし、ペンティアムの登場により、このような状況は一変します。動画や音声、絵といった多くの情報を滑らかに扱えるようになったことで、計算機の活躍の場は大きく広がりました。まるで魔法の箱のように、様々な情報を操ることができるようになったのです。 この革新的な技術の進歩は、ちょうど同じ時期に普及し始めた網の目のような情報網と相まって、計算機をより身近なものへと変えていきました。以前は限られた人しか扱うことができなかった計算機が、一般家庭にも普及し始め、子供からお年寄りまで、誰もが気軽に使える道具へと変化していきました。 ペンティアムの登場は、計算機の可能性を大きく広げ、様々な分野での活用を促しました。娯楽はもちろんのこと、教育や医療、産業など、あらゆる分野で計算機が活用されるようになりました。まさにペンティアムは、計算機の歴史における大きな転換点であり、現代の情報化社会の礎を築いた立役者と言えるでしょう。その影響は今もなお、私たちの生活の様々な場面で感じることができます。
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x86: パソコンの歴史を支えた技術

計算や情報のやり取りを行う機械、つまりコンピューターには、頭脳の役割を果たす部品があります。それがマイクロプロセッサーです。この小さな部品が、様々な命令を実行することで、コンピューターは複雑な作業をこなすことができます。 アメリカのインテル社が開発した「x86」は、マイクロプロセッサーの中でも特に有名なシリーズです。その歴史は1978年に始まりました。当時、インテル社は16ビットのマイクロプロセッサー「8086」を世に送り出しました。これがx86シリーズの最初の製品です。「x86」という名前は、8086の後継機種である80286、i386、i486など、続く型番に共通して使われていた「86」の部分から名付けられました。 x86シリーズの大きな特徴は、古い機種と新しい機種の間に互換性があることです。これは、過去の機種のために作られた命令の集まり、つまりソフトウェアが、新しい機種でもそのまま、あるいは少し手を加えるだけで使えることを意味します。例えば、8086用に作られたソフトウェアが、最新のx86マイクロプロセッサーでも動く可能性があるということです。 この互換性は、x86の普及に大きく貢献しました。新しい機種が登場しても、過去のソフトウェア資産を無駄にすることなく活用できるため、利用者は安心して新しい機種に移行できました。また、ソフトウェア開発者も、過去のソフトウェアを土台にして新しいソフトウェアを開発しやすいため、開発効率が向上しました。このように、互換性によって利用者と開発者の両方にメリットがもたらされたことが、x86が広く使われるようになった理由の一つです。現在でも、パソコンやサーバーなど、多くのコンピューターでx86マイクロプロセッサーが活躍しています。その歴史は、コンピューター技術の発展と密接に関係しています。そして、これからも進化を続け、私たちの生活を支えていくことでしょう。
デバイス

MID:携帯端末の新潮流

二〇〇七年、半導体製造で名を馳せるインテル社が、携帯端末の新たな姿を提案しました。それは「MID」、モバイルインターネット機器と呼ばれる、小型軽量で持ち運びに便利な情報端末構想です。いつでもどこでも気軽に情報に触れ、インターネットや電子メールを利用できる未来を目指し、当時インテル社が開発を進めていた低消費電力プロセッサー「アトム」の搭載を前提として構想されていました。 このMID構想は、当時普及し始めていたスマートフォンやネットブックとは一線を画すものでした。スマートフォンは電話機能を主体とし、ネットブックは小型軽量ながらノートパソコンの廉価版としての位置づけでした。MIDはこれらの製品とは異なる、全く新しいモバイル体験の提供を目指した革新的な試みだったのです。大きさは従来の携帯電話よりも大きく、ノートパソコンよりも小さい、まさに中間的な存在でした。この新たな市場を切り開く可能性を秘めた構想は、多くの期待を集めました。 MIDは、常にインターネットに接続している状態を想定して設計されました。これは、現在広く普及しているスマートフォンの利用形態の先駆けとも言えます。しかし、MID構想は期待されたほどの成功を収めることはできませんでした。スマートフォンやタブレット端末の急速な進化と普及により、MIDはその存在意義を見失い、市場から姿を消していきました。しかし、MIDが目指したモバイル性と常時接続性という概念は、後のモバイル機器開発に大きな影響を与え、今日の情報化社会の礎を築く一つの要素となったと言えるでしょう。
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セントリーノ:革新的なモバイル体験

二〇〇三年より前、持ち運びできる計算機、いわゆる帳面型計算機は、据え置き型計算機に比べて処理能力が低く、さらに電池の持ちも短いという問題を抱えていました。出先で気軽に情報網を使うという習慣もまだ広まっていませんでした。このような状況の中で、部品製造大手のインテル社は、どこにいても快適に情報網を使える移動環境を実現するために、新しい仕組みの開発に着手しました。それが「セントリーノ」です。 セントリーノは、単に部品を寄せ集めたものではありませんでした。低い電力消費で動く処理装置、高い性能を持つ部品群、そして無線で情報をやり取りする機能を組み合わせた、画期的な技術の結晶でした。当時の帳面型計算機は、処理能力を上げようとすると電池の持ちが悪くなり、電池の持ちを長くしようとすると処理能力が落ちるというジレンマを抱えていました。また、無線で情報網に接続する機能は別途部品を追加する必要があり、機器全体が大きく重くなってしまうという問題もありました。セントリーノはこれらの問題を解決するために、処理装置、部品群、無線通信機能を一つにまとめ、それぞれの性能を最適化することで、低い電力消費と高い処理能力、そして無線接続機能を両立させました。 この革新的な技術は、人々の生活を大きく変える可能性を秘めていました。いつでもどこでも情報網に接続できるようになれば、仕事の仕方、娯楽の楽しみ方、人との繋がり方など、様々な側面で大きな変化が期待されました。セントリーノは、まさにそのような時代の到来を予感させる、画期的な技術だったのです。